ネタ帳
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Welcome to wonderland 1-1
ゲームには常にルールがある
最初から強制的に決まった―――
「ゲームをしましょう――それがルールだから」
ロリーナの言葉にそう答えたアリスはまるで何かに憑かれたかのようにその言葉を紡いだ。あまりにも覚えのあるその言葉に彩俐はびくりと肩を揺らした。まさか、と思いながらアリスを見遣る。虚ろな目をしていた。それをまだ寝ぼけていると取ったのかロリーナは自分がトランプを取って来ると言い立ちあがった。
「あ、私が・・・「いいのよ。りーもアリスと一緒に持っていて頂戴」」
取りに行く、と、言いかけたのを遮りロリーナはさっさと邸内に行ってしまった。この姉妹は時々人の話を聞かない時があるような気がする。とはいえ、ずっと生活を共にしてれば自然とそれにも慣れるのだけれども。小さく息を漏らして彩俐はアリスを振り返ると既にウトウトとしていた。再び息が漏れる。
「・・・アリス。膝貸すから少し寝てな」
舟を漕いでそのまま地面と対面しかねない。苦笑交じりにそう告げると睡魔が限界だったのかアリスは素直に肯いて「ありがとう」と、彩俐の膝に凭れ掛った。自分の上着をアリスに掛けてその寝顔を見つめながらそっと表情を緩めた。
アリス=リデルはこの世界における彩俐の大切な親友だ。その出会いは今から5年程前にまで遡る。5年という数字は詰まる話、彩俐とアリスが共有した時を示す。決して他人に好まれる人間では無かった彩俐を嫌悪する事無く受け入れ、寄りそうように傍に居て笑いかけてくれたアリスは彩俐にとって掛け替えの無い存在だ。そんな彼女を愛おしく思うと同時にその幸せを誰よりも願っていた。大切なたいせつなアリス。決して誰にも傷付けさせはしない。
(傷付けたく無い・・・のになぁ)
失笑
どうあっても自分はいつかアリスを傷付けてしまうのだろう。アリスの傍に居たいと願う限りそれは免れない。いつか離れなければならないのは分かっているがどうしても離れられない。彩俐は溜息を漏らし現実から目を背けるように瞑目した。既にアリスの心は深く傷付いている。その心を癒せる場所を自分は知っている。だけどもその場所に誘いたくない。それは即ちいつかの離別を意味するから。
――不意に強い風が吹いた
風がアリスの背中に掛けた上着を舞わせた。取りに行きたいのは山々だが膝で眠るアリスが居る為、動くわけにはいかない。諦めたように溜息一つ視線を戻すと、森の草陰から服を着たうさぎがじっとこちらを見ていた。時計を持った、服を着た二足歩行のうさぎなんてこの世には存在しない。
「白兎・・・・・・ペーター=ホワイトか」
この世に存在しないということは、つまり、あの世界の住人ということになる。彩俐が嘗てあの世界からこちらに来たように。そしてその白いうさぎを彩俐は知っていた。口から不意に零れたその名を長い耳で拾ったペーターが僅かに眉を顰めた。まるでその名を呼ぶなと言わんばかりに。
とは言え、彼は何も物見遊山でこちらの世界に来たわけではない。てくてくとその姿と同様に愛らしい足取りで彩俐とアリスに近付いて来る。嫌な予感はあった。とは言え、アリスが居る為、身動きが出来ず近付いて来るのを見ているしか出来ない。否、久しく見ていなかった同胞の姿に体が硬直して動けなかった。此処にペーターが居るという事は、あの世界とこの世界が繋がっているのだ。
(私は――あの世界に帰らないといけない?)
息が詰まった
嫌いでは無い。ワンダーランドこそが彩俐の生れ育った故郷である。だが同時に決して癒えない傷を植えつけられた場所でもあった。おそらくペーターはアリスを連れに来ただけ。以前から思っていたがアリスはあの世界の住人にとってあまりに魅力的過ぎる。だけどアリスを取られたくないからずっと目を光らせていた。決して奪われないように。
なのに、ワンダーランドとの繋がりを見ただけでこのザマだ。ペーターがアリスを抱き上げる。渡さないように取り返さないといけない。なのに身体が動いてくれない。耳元でペーターが何か言っていたが全然入って来ない。ダメだ、返して。アリスをあの世界へ連れて行かないで。言葉にしたい想いは何一つ言葉に成らない。このままではアリスが奪われてしまう。大切なたいせつなアリス。誰にも渡したくない大切な存在。
もう失くさないように守るんだ――って決めた。
「っ・・・アリス!!」
不意に脳裏が黄昏色に埋め尽くされる。その向こうで柔らかな笑顔が見えた気がした。ふっと彩俐の身体から力が抜けて硬直が解けた。随分と距離を離されてしまったがまだ間に合う。頼むから追い付いてくれという願いを抱きながら走った。そしてペーターが穴に飛び込む瞬間、彩俐も追い付いた。穴に落ちて行くアリスの手を掴んだ。
「りー!」
とは言え、アリスとアリスを掴んだままのペーターの二人分を支えるのは無理があった。咄嗟に掴まれて顔を上げたアリスが安堵したようにその名を呼んだ。「・・・りー?」。聞き慣れない彩俐の呼称に眉を顰めたペーターを尻目にアリスを引き上げようとする。が、芝生に支える腕が滑り、敢え無く重力に従って彩俐も穴に引きずり込まれる。
まさかこの感覚を再び味わう時が訪れるとは。願わくば訪れない事を願いたかったがそうもいかないらしい。アリスを抱き寄せてペーターを見据えた。「・・・とんでもないことしてくれたな」。その言葉は先程アリスに「大丈夫やから」と告げた時よりも格段に冷たい。その言葉にペーターは我関せずと言った表情をしながら「ほら着きますよ」と、優しげな口調でアリスに語りかけた。そして彩俐に視線を向ける。「貴女とは後です」と、口パクでそう紡いだのが分かった。
不意に視界が真っ暗闇に包まれる。
「おかえり、カプリスキャット」
随分と久しいその役名で呼ばれた。顔を上げるとそこには右目に黒い眼帯をつけたナイトメアの姿。相変わらず何一つ変わらないその姿に懐かしさを覚えて自然と頬が緩んだ。望まない形の帰還とは言えやはりこの場所は故郷なのだ。否、此処はまだ夢の中だけれども。
「・・・どういうつもり?ペーターをあの世界へ送るなんて」
あまつさえアリスをワンダーランドへ連れていくなんて。確かに彼女の心は傷付いている。その傷を癒すことは彩俐には出来ない。それでも守りたいと思う気持ちは紛う事無き本心である。だからこそアリスにはこの世界に来ないで欲しかった。また、何があっても来させないようにすべきだった。だというのにペーターの所為で何もかもが無茶苦茶だ。
「私は彼女が望む世界に誘っただけに過ぎないよ」
そして、ペーターはそれを迎えに行ったに過ぎない。分かっている。あの世界がアリスにとってどれだけ愛おしい世界なのか。そんな事は嫌というほど分かっている。あの世界もまたアリスを望んでいることだって知っている。だけど来て欲しくなかった。この世界にだけは来て欲しくなかった。
「・・・私はアリスに幸せになって欲しいだけなん」
それ以外は望まない。ただアリスの幸せだけを切に願っている。その言葉にナイトメアは「私もだよ・・・いや、あの世界の者は皆そう願うさ」と答えた。だったら何故と口にし掛けて噤んだ。この言葉を彩俐が言ってはいけない事は重々承知している。この世界の根幹を成す己がこの世界を否定してはならない。だがそれでも思ってしまう。「それでもアリスは・・・」。俯きがちに紡がれた言葉。
――余所者だから。
異なる世界が交わろうとも夢に果てがあるようにいつか終わりは訪れる。どれだけワンダーランドに馴染もうとも
本当の幸せを掴むことは叶わない。幸せを掴む事が出来るのは在るべき場所でだけだ。思えば想うほど虚しくなる。どれほど一緒にいたいと願っても、どれほど永遠を願っても所詮はアリスと自分では世界が違う。いつか離れねばならない日が訪れる。嗚呼不毛だ。
「君は変わったね彩俐」
あの世界が彩俐を変えたのかアリスが彩俐を変えたのか。定かではないが、以前とは確かに違うその姿にナイトメアは言葉を紡いだ。それが良い兆候なのかはまだ戻ったばかりの彩俐には分からない。だがあのカプリスキャットが変わったとあらば良くも悪くもワンダーランドに新たな風を呼ぶかも知れない。懐かしむようにその頬を撫でる。あの頃よりもほんの少し大人びたがそれでもまだあどけない。
「あの世界は優しかったから・・・」
すべてを棄ててあの世界へ逃げ込んだ。アリスがいたあの世界はとても優しかった。傷が完全に癒える事は無くとも安らぐ事が出来た。ナイトメアの手を甘受して彩俐は目を伏せながら言葉を紡ぐ。アリスを想うその表情は柔らかくあの頃ならば到底考えられない顔だ。
裏切りの烙印を押される事は分かっている。だがそれでもあの世界に行った事を決して後悔していない。あの世界に行ったから己の心は護られた。ただほんの少しだけ許せない気持ちもあって己に罪を課した。大切なアリスに一つだけ嘘を吐いた。その証が「りー」だ。役から逃れて自由に生きるのにどうしても「彩俐」を名乗る事が出来なかった。それが唯一にして最大の嘘。
(・・・可哀想な娘(こ)だ)
心からそう思う
あまりに哀れだ。理由はどうあれワンダーランドに行くことは役に戻るということ。気紛れ猫(カプリスキャット)。調整者。彼女を表す言葉は数多にある。時の神に愛されし娘はワンダーランドの住人でありながらその世界と交わることすら叶わない。時に愛されて世界に疎外された哀れな娘。
それでも願わずには居られない。彼女が進む先に光が在る事を、辿りつく場所が安寧の場所であること。彩俐がアリスを大切に想っていることは知っている。もちろんナイトメアとてアリスの幸せを願っている。だが同時に彩俐の幸せも願っている。あのとき掴み損ねたものを今度こそ掴んで欲しい。だから敢えて彼女にこの言葉を送ろう。
「さあ行っておいで――カプリスキャット」
――君に幸あれ
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