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乱世(3軸)・其の参

(ふざけるな…)

怒りが沸々と湧く

忠勝が言葉を返さない事もまた余計に神経を逆撫でた。なぜ目の前の男を護るのか理解出来ない。否、したいとも思わない。姉を奪ったのが家康であることは明白だ。気丈な姉のことだ。己の大切なものを護るべく武器を握ったのだろう。戦うことが嫌いな人だ。

だから、姉が戦わずとも自分が護るのだと彩俐は戦うことを選んだ。大切なものすべてを護るために戦うことを選択したのだ。家を護ることが姉の矜持であるのと同様に彩俐の矜持は己の大切なものを守り通すこと。しかしその誓いは果たせなかった。今度こそと誓った願いでさえ敢え無く散った。散らせたのは目の前に居る男だ。なぜこの男が護られているのか。そう考え始めると理不尽だと頭のどこかで理解しながらも怒りが止まない。この怒りは家康を殺しただけでは止まない。おそらくはこの世界が終末を迎えたところでもきっと止まないのだろう。


「ワシはお前に弁解する余地がない」

何を言い出すかと思えば今に始まったことではないそれを言い始める。どこにそれを聞くだけの余地があったのかは分からないが彩俐は臨戦態勢を崩すことなく家康を見据えた。言うに事欠いてその言葉かと思った。千尋への贖罪でも無ければただ一言、己は間違っていない、と。そして歩みを止めるつもりも無い、と。だというのに「彩俐と戦うつもりは無い」、等と。その言葉に彩俐は小さく嗤った。

「…あんたのそういうとこ昔から大嫌いやねん」

その双眸が家康を見据える。あまりにも冷たい眼に言葉が詰まる。再び一閃が駆け抜けた時、本多忠勝をすり抜けてその刃は正確に家康を捉えた。金属同士の衝突する音が酷く耳障りだ。だとして互いに一歩も引く真似はしない。

戦いたくは無い。しかし、この命を奪われるつもりも無い。だとすればこの状況ですべきは彩俐を退ける事だけである。家康がばさら技を発動しようとするのと同時に雷鳴が轟いた。黒雲が空を覆い雨粒が零れ落ちて来る。次第に強まる雨足に足元は悪くなる一方だが互いに一歩も引こうとはしない。家康でさえ息が弾んでいるこの状況下だ。女である彩俐が体力を消耗しない筈が無い。が、それでも尚食い下がる。


「ひけ!彩俐!!」

「お前を殺すつもりは無い」と、家康は言う。しかしそれに対して彩俐は「綺麗事を言うな!反吐が出る」と言葉を返した。いくら叫んだところでその言葉は彩俐に届かず、そのじれったさに家康は拳を握り締めた。不意に泥濘に足が捕まったのだろう。彩俐が体制を崩したの見計らって吹き飛ばす。体力が落ちた状態で体制を整え直すのは辛い筈だ。

が、


「…っ・・・」

無理矢理に身体を反転させて体制を取り直す。そして不意に刀を構え直した。あまりにも静かで、凛とした静寂に包み込まれる。おそらく劣勢なのは彩俐だ。が、この状況下でも尚、攻撃の手を緩めないことに驚愕を禁じえない。まるでここで果てても構わないというかのように。






その一撃を受ければ家康とはいえ、危なかっただろう。あの時、彩俐は本気で家康を殺すつもりでいた。あんなにも禍々しい風を纏わせてしまった原因を作ったのは間接的とはいえ家康だ。彩俐の目を、声を、表情を思い返す度に仕方ないとはいえ、釈然としない思いに駆られる。己の感情をごまかすようにそっと家康はフードを被って静かに忠勝に命令を下した。



「……」

その背中にどう言葉をかけて良いか分からなかった。相当な体力を消耗したのだろう。刀を支えに僅かに肩膝を付いて俯く彩俐の背中を見つめる。刀を握り締めるその手が微かに震えていた。それが怒りか悲しみかは分からない。だが家康が忠勝に乗って逃走したあの瞬間の声が耳を離れない。

幼い頃から馴染みがあるがあんなにも悲痛な声を聞いたのは初めてのことだった。憎悪という言葉で言い表すには生温く、慟哭というにはあまりにも静かな声。降り続ける雨の中で確かに家康の名を紡いだその声こそが慟哭だった。否、もしかすれば雨そのものがそうなのかも知れない。
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